2012年7月28日土曜日

土曜昼下がりの原宿は、一人の男でつながった (「ミーハー仕事術」中村 貞裕)

学生時代から新社会人時代まで、代官山から新宿までを一日かけて歩いて、数多あるオサレショップを散策していて、その多くを、渋谷-原宿の明治通りと裏原宿で過ごしていたが、この1−2年は原宿には全く訪れていなかったようだ。

とある土曜の昼下がりに、久し振りに原宿周辺にいったら、知らない建物とか出来ているし、知っているお店も他の場所に移動していて、あ、やべ、オレ、ついていけてない、みたいな。まあ、原宿のターゲットセグメントからは外れているよね、オレ。と言い聞かせをしてみたり。

そんな中、特に印象に残ったスポットが二つ。一つ目は、「東急プラザ表参道原宿」。エントランスのインパクトが大。明治通り原宿の新しいランドマークになっている。

 

そして、もう一つは、「Egg Things」。パンケーキのお店。表参道から裏原宿に入ってちょっとしたところにあるのだが、表参道で既に50-100mとか並んでて、全部で150-200mの行列が。この暑い中、よくそんな並ぶなー、と。

 

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これらの印象深かった二つの新しいスポット。実は、一人の男で繋がっている。それが、Transit General Officeの中村 貞裕である。外苑前や代官山にある「Sign」を創った男と言えばわかりやすいだろうか。「東急プラザ表参道原宿」には直接的に企画で関与しているし、「Egg things」は、そもそものパンケーキのトレンドを創ったbillsを日本に導入しており、間接的に関係していると言える。私が印象深く感じたスポットは、彼がデザインしたモノであったわけだ。

そんな彼の本が、こちら。タイトルの通りで、なかなかユニークな内容になっている。昔から超ミーハーな私としては、非常に共感する箇所が多いのだけど、特に面白いと思ったのは、この二点。



彼はトレンドを創っているわけだが、スペシャリストではなく、ジェネラリストである。何かの専門性(例えば、空間デザインとか)を持っているわけではないのだが、
  • 時代を捉えるコンセプトデザイン
  • 広範なネットワーキングから実現可能である各領域のスペシャリストからなるチーミング
  • コンセプトを具現化する段階での全体のディレクション
といった所で尖った能力を発揮し、新しいトレンドを次々に創っている点。

もう一つは、時代の先を行き過ぎない、ということ。先の一つ目にある時代を捉えるコンセプトデザインに関連することだが、時代との距離感を見極めたコンセプトの設定が大事、ということ。何かを掘り下げていくと、ユニークなのかもしれないが、マニアックになっていって、時代・大衆から離れてしまう。この距離感の見極めは、相当難しいトコロだが。

2012年7月16日月曜日

セグメンテーションの難しさ (「入社10年目の羅針盤」岩瀬 大輔)

グローバルなトップノッチである岩瀬大輔氏の新著。本書は、タイトルの通りだが、入社10年目くらいのビジネスパーソンが直面するだろう課題の解決方法等に関して記述されていて、「入社1年目の教科書」が横展開された本である。



これらの本のマーケティング目線での目的は、彼が創業したライフネット生命の顧客獲得である。生命保険に初めて入るセグメントであろう、入社1年目の人たち。そして、ライフステージが代わり、入っている生命保険等の見直し等を図る機会が多いセグメントであろう、入社10年目前後の人たちである。彼らに対して、ライフネット生命の認知度を上げ、生命保険の選択又は見直しの際に、オプションに入れてもらえれば、というのが一連の流れである。

勿論、そのような企業側のマーケティング目線の内容を直接的に出しても仕方ないので、読者目線のベネフィットであり、筆者そして会社に関する信頼感を向上するだろうテーマとして、自己能力開発という課題に対する解決策の内容を詰めていったわけであるが、「入社1年目の教科書」は非常に良い内容が詰まっている。この本の実践を毎日継続すれば、1年で一人前のビジネスパーソンになるだろう。

他方で、「入社10年目の羅針盤」は、少し物足りなさがあった。それはなぜか?同じ様な形の同じ様な狙いの本ではあるのだが、10年目、というのは難しい。入社1年目よりも、入社10年目の方がセグメントの画一性が低いからである。10年もビジネスの経験を積んできただけに、その10年間の種類や質は多様であり、最大公約数的な課題を抽出して、わかりやすい解決策を書いたとしても、各人が納得感を得られる確度は低くなってしまうからである。

そういう意味で、横展開と言っても難しいのである。

と、なんだかマーケティング目線でレビューを書いてみたが、実際には、結構良いことが書かれているので一読の価値があると思う。個人的には、今よりも幸せになる方法、というのが引っかかった。
  • 他人と比較しないこと
  • 「慣れる」ことをやめて、いつも新鮮な気持ちを持ち続けること
一つ目は、幸せとは個人の絶対評価で決まり、比較評価から決まるものではない、ということ。二つ目は、当たり前のことを大事にして、幸せを実感すること。幸せとは回数を重ねることで色あせるものではないとも言えるだろう。

毎日の何かは、結局なんだか幸せであるという実感を自分が得るための何かなわけであり、もし、その総量を高める工夫ができたら、毎日がより良くなっていくだろう。そうした時の根本的な考え方としてとても重要なポイントだと思う。それらの考え方を基にして、毎日の色々にどのように対峙していくか、ともう一段階ブレイクダウンしてみる必要はあるが。

サヨナラ美容院難民 (mod's hair)

ということで、前置きが長くなったが、最近家の近くのmod's hairに行った。結論としては、次もこの店舗の彼女に切ってもらうことにしようと思っている。

なぜ、そう決めたのか?と考えたとき、仕上がりに満足した、というのと、良い時間を過ごせた、という二点に集約されるかな、と。つまりは、良いエクスペリエンスを得られた、と思ったわけ。

最初の仕上がりイメージの擦り合わせの時点で双方うまく話せた。普通顔合わせをした二人は多少は距離があるわけだが、彼女は外見と同様にナチュラルな話し方で話し始め、一気に距離を縮めてきた。その時点で、私は適切な情報を提供したいと思ったし、そんな中で彼女としてもよりイメージを具体化できるような情報の入手のためのやり取りをしようとしていたように思う。

加えて、ある程度高めの技術を持った人にしてもらったので、仕上がりも良かった。カットの仕方もちょいちょい自分の知っているテクニックが散見され、そのテクニックを見ることでこちらとしては安心したりともした。結果、なかなか満足がいくものであった。

mod's hairは、髪を切る、という 核となる提供価値だけでなく、ホスピタリティにも非常に力を入れているようだった。待合室には、iPadがあり、待ち時間を有効に過ごせる様にYouTube等を流している。美容室内は、幾つかのコンパートメントに分かれ、微妙にライトニングを変えている。シャワースペースのライトニングは青にしてあり、他とは異なる音楽をかけ、科学的なアプローチでリラックスを最大化する取組みをしている。

そういったファシリティ面だけでなく、店員のソフト面のコミュニケーションスキルも高い。カットしてくれた彼女だけでなく、他のスタッフのコミュニケーションスキルも高いように思えた。こちらが軽いジャブで提供したトピックに対して、掘り下げるまたは他に繋がるカウンタートークをした確率は高かった。豊かな時間を過ごしたと思う。

そんなわけで、僕は、次もmod's hairに行くわけですね。サヨナラ美容院難民。

 

2012年7月14日土曜日

永すぎた春・美容院難民・ドリフの雷サマ・また美容院難民・・・ (mod's hair)

髪を切る、というヤツはなかなか難しい。髪を切る人と、髪を切られる人との間で信頼関係が構築されないと、髪を切られる人が満足することはない。

では、信頼関係とはどのようになされるか?というと、所謂コミュニケーションてヤツの質に依存する。髪を切られる人は、どのような髪になりたいか、ということを明確にして共有しないといけない。他方で、髪を切る人も、髪を切られる人がどのような髪型にしたいのかということを自分なりに腑に落ちて切っていくために、具体的なレベルの確認のやり取りをする必要になる。

これらの関係構築をDay1から出来る二人は結構少なくて、とある美容院に行ってみて、髪を切られて、なんだか満足しないでサヨナラ、というケースは実に多いのである。少し満足していないけど、二回目、三回目、と行ってみるうちに、ある程度の信頼関係が構築されて、固定客になっていく、というケースが多いと言えるだろう。

かくいう私も、元々は後者のケースであった。大学の頃に友人の噂を聞きつけて、大学付近の美容室に行き出した。最初切られた時は、えらい短くなってしまったなぁ、と思って、それほど満足がいった記憶はない。しかし、二回目、三回目と行ってみて、次第にある程度の満足がいく様になっていったわけだ。

話はズレるが、なぜ、二回目があったのか?それは、美容師さんがオサレだったからである。私が彼女に初めて切ってもらったのは、20歳くらいの時で、彼女は21歳であった。お互い若かった。そんな彼女は、髪がピンクであった。オサレピンク。あぁ、オレはこの人に切ってもらえば、きっとオサレな大学生になるはずだ、と。そんな感じで、二回目があったわけである。

そんな彼女との関係は長かった。20歳くらいから、29歳くらいまで続いただろうか。その間に彼女の髪型は、アニーヘア、ツイスト、アフロ・・・と色々と変わっていったが、20代後半になると結構落ち着いていった。そんな中、彼女の勤務するお店が大学付近から、原宿に変わったこともあり、オレも原宿へ。オレはオレで無理な注文をしては、ある程度の満足を得つつ、通い続けたわけである。

しかし、転機があった。彼女が妊娠して、子育てで引退したのである。まあ仕方ない。そこからが美容院難民である。青山、表参道らへんのお店に幾つか入ったものの、一回目のハードルを超えられない。

そんな中で出会ったのが、ドリフの雷サマ(頭爆発気味のヤツ)であった。少し小太りで雷サマなパーマ頭の彼は、十分とは言えないオレのイメージコメントを咀嚼し、イメージ以上のものに仕立てたのである。所謂Day1の成功である。その後、数年の間、雷サマに切ってもらった。

それにしても、髪を切るといった文脈でも、信頼関係というヤツはなかなか難しいもののようだ。ある時期から、なんだか我慢ができなくなってきた。ちょっと流してないか、んー、なんだか満足がいかないな、といった不信感の積み重なりである。何度かそんなことを感じた後、私は雷サマを離れたのであった。

その後、家から歩いて3分のお店にしばらく通った後、最近引っ越しをしたので、私は、また美容院難民になったのであった。そこで入ったのが、Mod's Hairなのである。

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と、もともとMod's Hairのことを書こうとしたのだけど、長ーい美容院遍歴になったので、前編・後編に分けることにします!


信じる力 (バクマン。20)

"バクマン。"が終わった。先程最終巻である20巻を読み終わった。あぁ、終わってしまったという寂しさと、最高の終わり方からくる爽やかさが共存した読後感。そんな読後感のまま、最後のレビューを書いておきたい。

最近はそれほど漫画を読まなくなったのだが、"Death Note"のコンビが書いている本という噂を聞きつけて、一巻を読んでみて、その完成度の高さに手応えを感じて、毎巻楽しみに読んでいた。その19巻のうち、18巻で期待を超えていた。そんなに続けて期待を超える漫画なんてなかなかない!僕は毎回夢中で読んだ。一巻読むのに1時間とかかけて。

"バクマン。"の何が良かったのか?

一つ目は、構成力。ストーリーの全体構成を緻密に考え抜いた後に、各細部を創り込んでいることが見て取れる。本作で、漫画家である主人公達が夢を叶えた漫画と同じだ。コンセプトだけを重視してヒットして、惰性で生き長らえる漫画とは違う。主人公の成長に併せたアップダウンを適切に設定し、本当に最高潮で最後を迎えるという構成だ。

なぜ、このような構成を創れたのか?と考えたとき、”Death Note”での失敗があったからではないか、と推察する。"Death Note"はわかりやすいキラーコンセプトがあっただけでなく、緻密なストーリーの創り込みによって、期待をかなり超えた漫画だったわけだが、正直、後半は間延びした。もっと早く終わって良かった。恐らく筆者達もそれを実感していて、"バクマン。"では同じことを繰り返したくない、と思ったからなのではないだろうか。

それは、先にも書いた様に、本作で主人公が夢を叶えた漫画と同じだ。出版社側が連載をどれだけ長く続けさせようとしようと、アニメ放映には連載継続がベターだとしても、元から決めた構成を崩さない。つまり、筆者たちは、主人公達に自分たちを重ね合わせた。



二つ目は、表現力。表現力には二つある。一つは、画の表現力。人物の画は勿論、背景の画のクオリティも極めて高い。そして、人物描写の表現力。登場人物一人ひとりを丁寧に描いていく。立場の異なる一人ひとりに魂をこめて、各所で各人の目線で一つの物語を表現していく。物語は重層的でリアルで豊かなものになっていく。

また、これら二つの表現力において、細部が徹底的に描かれている、その妥協の無さに心が打たれる。考えて考えて考え込まれたその表現は、一つひとつの画とその一部、一人ひとりのセリフの各センテンスから、筆者らの妥協のない完璧を目指す息づかいが聞こえてくる。読み手である私は心を動かされる。

三つ目は、物語力。この漫画は、夢を叶える物語だ。夢は二つから成り立っている。一つは自分の仕事である漫画において、トップに立つこと。そして、もう一つは、好きな人と結婚することだ。二つの夢は密接な関係になっている。

夢を叶える道程には、挫折と成功の繰り返し、その中でライバルとの勝負や友情等が積み重なっていく。それは、決して平坦なものではなく、これでもかという試練に出くわしていく中で、主人公達が一歩一歩成長していく様があり、我々の感情は多分に移入されていく。そんな主人公達や他登場人物とのやり取りから創られる大小の物語は、先に記述した表現力も相まって、実に読み応えがあるものに仕上がっていく。



と、なんだかもっともらしい感想文を綴ってみたが、この漫画の良さの10%も表現できていないような気がする。ここまで読んでくれた方、ごめんなさい。

結局、僕は、この漫画の何に心を動かされたのか?

信じる力なのかな、と思う。自分の夢を信じる力。自分の能力の無限さを信じる力。友人を信じる力。パートナー(編集者)を信じる力。そして、好きな人を、好きな人が自分を想っていることを信じる力。そこに、圧倒的な純粋さを感じたし、他の何モノにも負けない圧倒的なブレない強さを感じた。現実を超えた、圧倒的な信じる力に心を動かされたのかもしれない。

ということで、一つの素晴らしい漫画が終わってしまった。この二人の著者の次回作に期待。きっと、"Death Note"、"バクマン。"を超える作品を創ってくるに違いない。この漫画の主人公たちのように。

2012年7月1日日曜日

「有言実行」できるか? (HONDA「負けるもんか」)

最近俄に話題になっているCMが、HONDAの「負けるもんか」。今年4月に公開されたCMのようだが、私はTVでは見たことが無く、とあるサイトでこのCMの存在を知った。まずは、Youtubeとそのナレーションを引用してみたので、ご覧頂けたら。

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頑張っていれば、いつか報われる。
持ち続ければ、夢は叶う。
そんなのは幻想だ。

たいてい、努力は報われない。
たいてい、正義は勝てやしない。
たいてい、夢は叶わない。

そんなこと、現実の世の中ではよくあることだ。

けれど、それがどうした?
スタートはそこからだ。

新しいことをやれば、必ずしくじる。
腹が立つ。
だから、寝る時間、食う時間を惜しんで、何度でもやる。

さぁ、昨日までの自分を超えろ。
昨日までのHondaを超えろ。

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HONDAのコーポレートメッセージは、「The Power of Dreams」だ。CM等のコミュニケーションの機会がある時に必ず出てくるメッセージである。創業者である本田宗一郎が大事にした言葉であり、その夢の力を基に、様々な困難に挑戦し、まだこの世にないモビリティを創り、新しい市場を創り、世界中の人たちを感動させた。夢を叶えるための力こそが、HONDAのアイデンティティなのである。

夢の力について、綺麗ごとではなく、厳しくて現実的な困難さへのチャレンジにフォーカスしているところに、このCMの良さがある。戦後日本が復興し、世界的な企業に成長してきたHONDAという会社に対して、共感している人は多いだろう。これまで本田宗一郎の本にもある通り、HONDAの成長は決して平坦ではなく、幾多もの困難を死にものぐるいで超えてきたところにあるということを、上のメッセージで思い起こさせるし、そういったがむしゃらな努力に対して、親近感を感じ、自分たちを重ね合わせる人も多い。このCMには、HONDAという会社に本来備わっているコーポレートブランドを今一度呼び覚ます意味合いがあるのではないか、と思う訳である。


他方で、このCMは、HONDAの社員に対するメッセージでもあるのではないか、とも思う。過去、幾度も不可能を可能にしてきたHONDAという会社に期待し、自分たち自身も同じ様な経験をしようと考えて入社してきた社員に対してだ。正直、先にあるようなHONDAのコーポレートブランドに反して、最近のHONDAの商品に魅力的な部分を感じることが少なくなっているからだ。リーマンショック後に様々な商品上のリストラをした今、ただのリストラではなく、筋肉質になった企業体質であるが故に、過去を超える様な新しい商品を世に出していくことができるのではないか。そういったポジティブな見方を敢えてしてみて、今後のHONDAの商品展開に期待していきたいと思った。

さて、このCMを見て、APPLEのCMを思い出したのは、私だけだろうか。ダウンサイドであった状況から、商品も業績も上向かせた契機になった「Think Different」のCMだ。メッセージ自体は異なるのだが、自分たちのアイデンティティを社内外に思い出させるという狙いは同じ様に感じる。そうした時に、HONDAは、APPLEのように、「有言実行」をすることができるのだろうか?綺麗なコーポレートコミュニケーションをするだけで終わる他の多くの会社とは違う会社ではないか?私は、結構期待しているんですよね。

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